理窓会記念自然公園エンサイクロペディア NO.1 東京理科大学 理窓会記念自然公園の発足の歴史

理窓会記念自然公園(略称 理窓公園)の歴史

①野田キャンパス(校地)と理窓公園の年表
昭和33年(1958年)学校法人東京物理学園は野田市山崎字亀山に運動場および薬草園の土地購入を開始
昭和35年(公園内)米づくりが部分的に行われていた
昭和41年 1号館竣工
昭和42年 理工学部設置認可
昭和43年(公園内)水田は耕作放棄されていた
昭和47年 理窓会幹事会で自然公園募金事業を承認
昭和49年 セミナーハウス開館
昭和50年 職員が白鷺の池や蓮池で1反水田を耕作
昭和55年 理窓会記念自然公園完成
昭和56年 理窓会記念自然公園を大学に寄贈

②昭和47年理窓会記念自然公園の募金事業を決議
昭和47年8月6日、理窓会幹事会で平川仲五郎理事長(左写真明治21年生)が「セミナーハウスの建設と、昭和56年の母校創立100周年記念事業を目標に卒業生3万人から3億円を募り、2万坪の自然林記念公園をセミナーハウスの南面の景勝の地につくり母校に寄付したい」と提案し承認される。
趣意書には次のように掲載されている。「野田地区においても、開発にともない自然環境破壊が起こっている。年々、緑を奪われ、今後50年、100年後の母校の姿を考えると、今私たち同窓が力を合せて、寄付金を出し合い、記念林用地を確保しておくことこそ、母校のための同窓の記念事業として、最も意義のある事業であると確信いたします。」昨今の現状を考えると、素晴らしい先見の明に驚かせられる。

③募金活動を昭和47年9月から開始
初めの募金目標は10億円としていたが、同窓生全員に洩れなく参加頂くためには、募金金額を考慮する必要があった。昭和47年当時の卒業生は約3万人であった。若い卒業生の給料は5万円程度を考慮して1万円が適当であると判断した。
募金計画によると、目的は記念林の土地購入2万坪(学園に寄付)、募金額は3億円で1口1万円(分割も可)、期間は3年間(昭和47年9月~昭和50年10月)となっている。しかし、募金期間の3年間では3億円の金額には達せず、募金額が3億円を超えたのは昭和54年6月である。最終報告は、同年7月12日付けで、利子も含め310,688,757円となった。

④土地の購入の始まり
寄付金が集まりしだい、土地を買う方へ廻し、時には借金をしてまで急いだ。土地購入費は購入と借地権設定の両方である。購入した土地の坪数は1万5,000坪弱にあたる。最初の計画では2万坪だったが、47年の石油ショックで土地が急激に値上りし、当初の計画には届かなかった。土地を確保するにあたっては、地元住民の方々の絶大なるご協力によって成し遂げられたことを忘れてはならない。以来、「理窓会記念自然公園」は、地元住民の方々の憩いの場であり、自然を愛し、大切にする多くの人たちが訪れ、その生態系の保全・維持にも一役かってくれている。「地域連携」そのものと言えよう。

⑤昭和55年6月10日理窓会記念自然公園完成
募金313,960,371円(7,622名)、面積55,462㎡、翌56年に大学に寄贈。

100周年記念事業記念碑

⑥東京理科大学創立百周年記念式典
創立百周年記念式典は、昭和56年6月13日(土)に、ホテルオークラで盛大に開催された。祝辞に来賓された方は、文部大臣、日本私立大学協会会長、日本私学振興財団理事長、東京大学総長、卒業生代表、旧教職員代表が祝辞を述べている。また、学生も共に祝う会も企画され、新学生歌も募集された。地元などからも祝福された。また、理窓会100周年記念事業記念碑建立の除幕式が理窓会記念自然公園で同年6月6日に行われた。

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