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- COEをもたらした「火災科学研究所」の歩み
COEをもたらした「火災科学研究所」の歩み
- 2019/5/15
- 卒業生, 理窓 2019年5月号
この度の坊っちゃん賞は科学技術教育の充実と国際貢献、火災科学研究所、東京理科大学総合研究機構の創設、専門職大学院科学技術経営研究科(MOT)設立、理窓会博士会会長(11年間)等の業績によるものです。この中で、火災科学研究所が「文科省21世紀COEプログラム」に東京理科大学で唯一選ばれました。この事には故半田隆教授の寄与が多大であり、感謝申し上げその思い出を紐解いてみます。
半田教授は1966年東京理科大学理学部応用化学科に着任し、木材・有機材料の難燃化の研究を始め、着火から燃焼拡大の火災モデリングの研究に発展させました。私は1967年に助手として半田教授のもとで研究を始めました。1975年アメリカは「20世紀末までに火災による死者を半減する」との目標を掲げ、日本とアメリカは日米天然資源会議(UJNR=United States&JapanNatural Resources)にUJNR防火部会を設置しました。米国は国立標準研究所(現NIST)が担当し、半田教授はこのプロジェクトに加わり、私を1979年から1980年までNISTに派遣し、1981年に東京理科大学総合研究所火災科学研究部門を発足させました。発足に際し、①世界でユニークな火災科学・安全工学の研究・教育拠点に高める、②国際的な高い評価の英語論文誌「Fire Science and Technology」を発刊するとの2大戦略を立てました。
1981年から私は東京理科大学火災研究所の立ち上げと運営に携わり、同誌 のEditor in chiefになりました。1982年に起きた「ホテルニュージャパンの火災」は出火から鎮火まで9時間の大事故で、火災研究所が火災発生から宿泊客の挙動・ホテル側の対応等の鑑定を行った。1985年半田隆教授は「がん」で急逝されました。故川越邦雄教授が第2代所長に、第3・4・5・6代所長に重倉光祐・私・若松孝旺・森田昌宏教授が務めました。この間、1994年には国際火災安全科学学会に“KAWAGOE Award”が設置され、同学会から火災安全技術の発展に寄与した功績でFORUM Award”を受賞し、さらに1999年には火災研究者を多数輩出した功績で、“SJOLIN Award”を受賞しました。火災研究所はNISTの研究者ばかりでなく世界の研究者と交流し、国際的に認知され2003年文科省COEに選ばれることができたのです。
故半田隆教授は「優秀大学の格」には博士学位授与者の数が必須であると、着任当初から学位授与者数の増加政策に研究室を挙げて邁進しました。1985年教授を主査とする博士学位授与者数は51名で全学一であった。火災研究所の国際化戦略と博士学位増加政策は東京理科大学の躍進に多大な貢献をしました。これは故半田隆教授の「高い見識・先見性・実行力の賜物」と感謝しています。素晴らしい先達の思いを大切にし、東京理科大学がますます発展することを祈念いたします。