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- 卒業生, 理窓 2019年9月号
- 「男と女 どちらが科学に向いている?」
「男と女 どちらが科学に向いている?」
- 2019/9/6
- 卒業生, 理窓 2019年9月号
科学の本質は真理の探究であって男も女も関係ない。これまで生きてきた長い(?)人生においてずっとそう考えてきました。男性が実験した結果と女性が実験した結果が異なっていたら、それは何かが間違っているのであって、その差異に意味などあるはずがありません。理論計算だって同じはずです。ところが最近、そこに男女差があるという科学的報告がなされるようになってきたのです。
科学における男女差の問題が世界で最初に注目されたのは、創薬開発でした。1990年代の米国では多額の研究費を投じて薬が開発されてきましたが、開発された新薬が男性には効果があっても女性には効果がないという結果が出てしまったのです。その原因は、開発の過程で主にオスの動物を使用してきたことにありました。メスには妊娠の可能性に加え、月経周期があるため体の状態の変動が大きいのですが、オスにはこれらの変動がありません。オスは常に一定の状態を保持できるため、メスより実験に適していると考えられたのです。実験の誤差を極力小さくし、正確な結果を求める科学的観点からすれば、これは当然ともいえることです。しかし、その科学的観点が必ずしも社会的に通用するものではない、ということを端的に表したのがこの問題でした。
シートベルトの開発でも問題が起きました。車の衝突事故実験の映像は、誰でも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。その場面を思い起こしてみてください。そこでは、男性の人体ダミーが標準として使用されていたのです。その結果、女性より男性に適したシートベルトの開発がなされ、女性、特に男性体型と大きく異なる妊婦の安全性が損なわれるという社会的な問題が発生してしまったのです。
ここまで紹介してきた事例は、実験対象としての男女の違いに配慮する必要があることを示すものでした。これが科学の実験をする科学者としての男女の差異とどう関係するのか、疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。実は、実験対象としての男女の違いの問題を指摘し、その研究の必要性を訴えてきたのは女性研究者だったのです。これまで多くの研究において、女性あるいはメスは軽視される傾向にありました。人は、自分と直接関わることに無意識のうちに強い興味を示すため、男性が多数を占める科学の世界では、研究対象の選び方が男性中心であることに特段の違和感はありませんでした。この点に女性研究者が疑問を持った結果、こうした問題が明らかになってきたのです。
男性の世界に女性が加わることで新たな価値が生み出されるという科学的事実も示されるようになってきました。日本政策投資銀行と三菱総合研究所の共同研究結果によれば、男性だけのチームと男女混合チームが取得した特許の経済的価値を比較したところ、男女混合チームの特許の価値は男性チームの1.54倍に達していることがわかりました。これも、男性だけでは得られない女性の視点が加わることが生み出す価値であると解釈されています。
これまで科学の研究結果は、研究チームが男性だけであっても、女性だけであっても、また男女混合であっても、その内容は普遍であると考えられてきましたが、決してそうではないようです。男性と女性には違いがあり、その違いがさまざまな影響を与えることがあります。男性と女性だけではなく、その両方に属さないLGBTという第三の性もさらなる効果をもたらすかもしれません。また、これは性別に限ったことではなく、生まれや育った環境、文化、年齢、宗教についても同じことがいえます。自分が気づかないさまざまな問題を、自分とは異なる人が気づくことも多いのです。
最後に、男性と女性のどちらが科学に向いているか。その答は、「両方」ということになります。一昔前、男女の社会問題といえば、不平等に主眼がありました。その不平等がある程度なくなりつつある今、新たな男女の問題が浮かび上がってきました。それは男女の違いの重要性です。そしてこの男女の違いはさまざまな課題と関連し、広がりを持っています。いろいろな科学者がいることこそが新しい発見や発明につながる時代が、今、到来したといえます。