防衛大学校から東京理科大学大学院博士課程へ

私は、1991‐2001年にタイ海軍から派遣された国費留学生として、防衛大学校で電子工学の学部と修士課程を卒業後、東京理科大学・大学院基礎工学研究科・材料工学専攻の博士後期課程を卒業しました。
現在、Naval Rating School (日本の防衛短期大学校に相当)の学長として勤務しています。

防衛大学校への留学
1991年3月末に来日して、すぐに防衛大学校に入学しました。心配や不安を抱えながら、厳しい留学生活が始まりました。一年目は、日本語研修生として、8時半から夕方4時まで毎日、日本語だけの生活でした。日本語が出来ないと、これからの授業で苦労することが分かっているので、一生懸命勉強しました。2年目(学部第1学年)からは、高校を出たばかりの日本人学生らと全寮生活で授業や訓練などに励みました。2年生になった時点で、電子工学を専攻し、4年生まで勉強しました。
防衛大学校では、専攻のみを勉強するのでなく、教練や軍事訓練なども教わります。また、私は海軍専攻ですから、海上自衛隊の教練にも参加し、北海道から九州までの航海実習や天測などの訓練も受け、貴重な体験をしました。4年生時の卒業研究に、電子セラミックスに関するテーマを選びました。学部卒業後も研究科・修士課程で2年間、アクチュエータや圧電トランスなどの電子セラミックスに関する研究を一生懸命勉強し修了しました。電子セラミックスとはどんなものだろうと思っている方もいるでしょう。電子セラミックスを簡単にいうと、電気的機能をもつ焼き物という意味です。例を挙げてみると、電子機器の中にある数千個の抵抗やコンデンサなどです。また、パソコンの中にあるメモリ素子も、それも電子セラミックスの一種です。私は、このメモリ素子についてより良い性能、材料を探究しました。

東京理科大学大学院博士後期課程
防衛大学校の研究科・修士課程を修了後、さらに博士課程に進学したい旨をタイ海軍に申し出ましたが、その時期はちょうどアジア通貨危機と重なっていたため、予算が無く留学生を減らす検討をしており、国費留学は「無理」と言われました。そこで、ASJA(Asia Japan Alumni)Internationalの奨学金をいただき、進学することになりました。防衛大学校で研究していた電子セラミクスに関するテーマをさらに発展させたいと思いましたが、防衛大学校には博士課程がなかったため、東京理科大学に進学することになりました。ソルゲル法による強誘電体薄膜の作製と評価について学ぶため、土谷敏雄教授の研究室に入りました。

現在
東京理科大学大学院博士課程を修了後、タイに帰国し海軍士官学校の電子工学科で教職員として13年働き、その後、海軍通信学校の学長にもなりました。また2020年には中国の奨学金を頂き、タイ海軍の代表者として北京大学に短期留学し、国際関係、戦略、中国為政などを勉強しました。
現在、Naval Rating Schoolの学長として勤務しています。この学校は日本の防衛短期学校と同等で、高校を出てから二年間の専門教育により三曹を育成して部隊に配置する役割を担っています。装備近代化に伴って海軍が必要とする高度専門技術者や熟練下級幹部を確保するための学校です。

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