阪神淡路大震災 震災被災者を見守り続けて25年

はじめに

大学生のころ、テニスばかりしていた思い出がある。その私がテニスの強い神戸市の教師になった。「君、こっちや」と校長が新任教師5名を赴任校に連れて行った、その時まで定時制高校の存在すら知らなかった大学生だった。
「お前らに負けへんぞ!」45年前、新任教師の着任式で金髪にピアス、斜に構え迎えてくれた生徒達に、とっさに出た言葉だった。何度も全日制高校に行くように校長・委員会から言われたがすべて拒否した私が、退職するまで夜間高校の教師で居続けたのには、理由があった。
37年間の夜間高校で出会った生徒や親たち。不登校・障害者・高齢者・荒れることで辛うじて立っていた生徒たち、そして悩む親たち。彼らとの出会いは『学校』について考える原点となった。多様な生徒が共に学ぶ学校は「社会の縮図」であり、ここは知識量のみを人の価値基準とせず、何より深い人間関係を築くことの出来る貴重な「学び舎」だと思う。
この私の置かれた環境が、私をボランティア活動に進ませ、25年間支えてきたのかもしれない。だが、高齢者と拘わることは「死」と直面することであり、私自身の高齢化と重なって心身の疲労を蓄積させたのだと思う。この疲れが重い荷物を降ろそうとした直接のきっかけだった。

「よろず相談室」の活動

阪神淡路大震災当時、神戸市にある私の自宅は音を立てて激しく揺れ歪んでいった。このまま自宅が崩壊すると思い、死を覚悟したその直後に、揺れは収まった。
夜間高校の数学教師だった私は、学校が避難所となったこと、自宅と学校間の交通網を含む町並みが壊滅状態となり、約2週間、自宅近くの避難所(小学校)でボランティア活動に専念することを震災から9日目に校長に申し出て許された。その後も、勤務に支障のない範囲でボランティア活動を続け、それは25年間続けてきた。①「訪問活動」お茶を飲み話しをする、たったそれだけだが「1人でない」「置き去りにされていない」と伝えることができた。②「震災障害者の集い」③「手紙支援」④「東北支援」⑤「識字教室」。

手紙支援

手紙支援をする事になったきっかけは、拙著「被災地・神戸に生きる人々」(岩波ブックレット、2001年発行)を読んだ茨城県の歯科医だった。その後、香川県の高校生たちが、神戸に住む震災高齢者約200人と文通を始めた。12年前のことである。今も文通は続けられ、年2回、高校生たちは神戸のじいちゃん、ばあちゃんに会いに来る。文通相手の高校生に会った時の喜びは、言葉では言い表せられないという。

手震災障害者 ―苦悩の日々―

震災障害者とは「震災起因で障害者(身体・知的・精神)となった人」のことである。特徴は「自然災害ゆえ訴えていく相手がいない」「同じ場所にいた家族全員が等しく震災に遭い、死亡・重傷・障害など、様々な運命を一家にかぶせた」という点だろう。
私は震災障害者の苦渋の日々を想像することができなかった。それは、孤独死・自殺といった悲惨な出来事に目を奪われ、「生きているだけましなのでは……」との思いがあったからだと思う。「震災障害者と家族の集い」を月1度開くようになったのは、震災から12年後のことだった。
生と死の狭間で辛い体験を重ねて生きる、多くの震災障害者たちに、私たちはどのような支援策を講じるべきか。それは、置き去りにされてきた阪神大震災の震災障害者のためだけではなく、東日本で孤立している震災障害者、そして、近い将来起こりうる大災害の震災障害者のためでもある。

復興公営住宅と高齢者

震災で何もかも失い、避難所、仮設住宅、復興住宅と二度三度の転居でコミュニティの分断を余儀なくされた震災高齢者は1万人を超える。「死にたい……」。阪神大震災から25年が過ぎた今、復興住宅に住む一人暮らしの高齢者の声である。人々が抱える問題は深刻さを増している。

東日本訪問

私は9年間で約70回東北の被災地(気仙沼・石巻・福島いわき市・福島葛尾村)を訪問し、これから先どうすればいいのか悩んでいる人々の話にひたすら耳を傾け、信頼関係を築く活動を続けた。

最後に

阪神淡路大震災から25年が経過した今、被災地の町並みは元に戻ったかのように見える。だが、孤独死・自殺は今も後を絶たない。被災地に住む人々は震災前の生活を取り戻すことができているのだろうか。とりわけ復興住宅に住む独り暮らしの高齢者や震災障害者の25年間の苦汁は、想像するに余りある。私たちは『制度』だけで人は救えないということを学び、結局『人は人によってのみ救うことが出来る』ということを知ったのである。

カンパのお願い ゆうちょ銀行・口座01170-9-87984
名義:NPO法人 よろず相談室

阪神大震災の被災者22名の動画による証言記録を編集しDVDにすることと証言記録集を作成する費用にあてがいます。この記録集は東日本などの被災者や今後起こり得る大震災に人々がどう立ち向かい生き抜くか伝えるメッセージなのです。

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