第23回 坊っちゃん賞を受賞して~茶席の禅語 悟りの境地優しく説く~

曹洞宗昌興寺住職

『茶席の禅語講座』の発刊と駒澤大学から「令和元年度曹洞宗特別奨励賞の受賞」。
禅語とは、禅の師匠が自らの体験を通して得られた悟りの境地を文字に表したものであるが、これを優しくとき、多くの読者に感銘を与えた。郷土史や文学にも通じ、和算の研究にも造詣が深い博識の禅僧。

『茶席の禅語講座』の執筆は人生の回顧録

中学校を卒業すると、川崎市にある産業ポンプや精密機械を製造、販売する会社に集団就職しました。入社一年後に県立の工業高校定時制に入学。定時制は学校で学んだことを即、現場で確認できるという、一石二鳥の最高の学習システムでした。卒業と同時に会社を退職。憧れの東京理科大学を受験。定時制卒では無理だと諭されましたが幸いにも合格することができました。
翌年、上智大学から理工学部が新設されるので「実験室作りを手伝え」とお呼びがかかり、会社で携わってきたポンプの設計や風洞、発電所の設置作業に従事しました。昼は上智大学、夜は東京理科大学と二足の草鞋の生活でした。時には日本大学鶴ケ丘高校の講師なども経験させて頂きました。そして、大学を卒業の後も助手として勤務していましたが、突如、郷里新潟県長岡市(旧栃尾市)の寺院の再建を要請され、その建立に取り組みました。ようやく本堂・庫裏が完成し、再度、大学に戻ろうとしたところ、同寺の住職を要請され、結局は大学を辞職。僧侶の道を歩くこととなりました。そして、県立高校に奉職、栃尾高校や燕工業高校などに勤務。またもや住職と教員の二足の草鞋の生活となりました。しかし、田舎は楽しい。青年会やPTA活動など、周囲の人々と共に汗を流す。また新潟県史の編纂や和算の歴史、上杉謙信や観光ガイドブックなどの執筆にも携わることもできました。寺院住職も当初、再建した寺院から関西財界を牽引した外山脩造の菩提寺に、さらに現在の古寺にと、3か寺を転住、流転の人生となってしまいました。こうした寺院生活の傍ら、石仏に大きな関心を抱き、道祖神など石仏関係の本を何冊か出版、そして、このたび『茶席の禅語講座』を思い切って上梓した次第であります。

「生命の連続」を喝破

増渕会長、石田様、上杉新潟理窓会支部長

本書の主題は「禅の悟りとはなにか」について、「茶道」を通じてアプロ-チをしたものであります。禅僧が修行によって見い出した結論は、人間が自然における一存在であることの自覚でした。自然の有り様をみつめ、自然に溶け込んで共に生きる。そこに人間の安心(あんじん)の根源が存在していたのでした。そして、究極の安心は「無欲」と「平等」にあり、「連続の思想」がその根幹をなしていたことの発見でした。禅においては相対性の認識、そして連続・不連続の問題が常に論争の種でした。それをさり気なく示唆していたのが「メビウスの環」でした。
これまで善と悪・男と女などは、コインの裏表のように永遠に相容れない存在とされてきましたが、実は連続した存在で、単なる位置の相違にすぎないことを教え諭していたのでした。かつて王朝文学は人生を「仮の宿」とし、浮かんでは消えてゆく泡沫(うたかた)のような、はかない存在であるという無常観に浸り、たゆとう(不安な)日々を歌ってきました。
ところが禅僧は「生」は死によって断絶するものではなく、「連続している」ことを喝破。つまり「生あるものは必ず死す」ではなく、「死は子孫の繁栄をはかるために生物自らが選んだ道」であるという真実を見いだしたのでした。死は決して穢れた存在ではない。未来のための英断であり、生と死は連続していることを教え諭したのでした。

 

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