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- 卒業生, 理窓 2020年9月号
- 外食産業と物理学 サイゼリヤ創業者 正垣泰彦氏に聞く
外食産業と物理学 サイゼリヤ創業者 正垣泰彦氏に聞く
- 2020/9/1
- 卒業生, 理窓 2020年9月号
数字で見るサイゼリヤ |
子供の頃はガキ大将だったとお聞きしていますが、大学時代はどうだったのでしょうか。
そうですね、子供の頃は、一言で言えば世話好きのガキ大将だったでしょうか。育ったのは兵庫県の旧生野町です。代々医者の家系でしたので家屋敷は広く、トイレは5つあり、自宅には当時珍しいグランドピアノもありました。ところが悪ガキ、高校2年の時にある事件に巻き込まれまして、退学させられそうになりました。その時、担任の先生から、“おまえね、これからは必死になって勉強しろ、一生懸命やれば今からでも大学に入れるから”と。さすがに私も心を入れ替えて勉強するようになりました。勉強してみると数学、物理は面白い、語学は不得意だったので、入学できるところ、それが理科大でした。
大学に入って、最初の前期試験の時、物理の試験は僅か30分で解いてしまいました。“何だ大学はこんな程度か”と思うようになり、大学生活は授業よりアルバイトにのめり込むようになりました。
アルバイトは色々しましたが、大学在学中(4年)の1967年千葉県市川市の小さな洋食屋を譲りうけました。これがこれからの人生を決めることになるのですが、フルーツパーラーを洋食店に変えて名前を「サイゼリヤ」で始めました。最初はなかなかお客が来ませんでした。朝4時まで営業を行いその後仕込み、それから卒論の為に大学へと、掛け持ちで卒論を仕上げました。
今のサイゼリヤになるまでのご苦労は。
サイゼリヤ、最初の試練は開店から9ヶ月後にきました。客同士のけんかでお店が全焼してしまいました。
その日、憔悴して東京・中野の家に帰ったら母から意外な言葉がかえってきました。“よかったね。せっかく火事になったのだからもう一回やりなさい”。
大家に頼み込んで再建することにしました。そして、周りの店舗と競合しないようにと消去法で選んだのがイタリア料理です。しかし、再建したが客は来ない日々。料理がまずいのか、立地が悪いのか。色々考えたあげく、販売価格を今までの7割引きにしたところ、一気に人気店になりました。これで自信をもち2号店、3号店は店舗面積約500平米で店舗面積の半分が厨房スペース、今でいうセントラルキッチン(集中調理施設)の店舗でした。開業すると3号店もお客さんでいっぱいになりました。これなら1千店舗まで増やせると確信したものの、店長とコックを育てなければ運営はできない。“安い価格でおいしい料理を出し続けるにはどうしたら良いだろうか”セントラルキッチン方式でも限界がある。そこで1つの解決法が浮かびました。メーカーへの調理の委託です。実現できれば、コックの腕を鍛えなくっても品質が一定になり、安くておいしい料理ができるのではと。早速、大手の食品会社に行きましたが、最初は当然何者だと不審顔でした。それでも何とかA社にお願いすることができました。これで多店舗化へ体制が整ってきました。しかし、本音ではいずれ自前の工場がほしいと思っていました。
そして、自前の工場、農場を持つ道に進むのですが、店舗数が100店舗になった1994年、あるテレビ番組に出ました。翌日、店舗には長い行列ができサービスもおろそかになり苦情も殺到。テレビの反響がおさまると客足もぱったり来なくなりました。これを取り戻すためには“価格を据え置いて質を高めれば、きっとお客は戻ってくるはず”食材の見直しは一切宣伝しませんでしたが、その後、お客さんの口コミで上昇基調に戻すことができました。
外食業をどのように産業化されたのですか。
最も基本的なことは、食材の調達から加工・物流、店舗での提供までの一連のプロセスを自ら手掛けることです。サイゼリヤは、外部業者から仕入れる食材はほとんどなく、自前でまかなっています。ワインならイタリアの産地に出かけて、栽培農家と協力してオリジナルワインを開発、輸入しています。野菜は、福島県白河市にある100万坪の「サイゼリヤ農場」で自製し、オーストラリアでは牛肉やミルクの安定した調達、そこでの自社工場ではメニューの中核となるハンバーグのパテやミラノ風ドリアの加工を担当しています。サプライチェーン(供給連鎖)の中核に位置するのが全国5ヶ所(埼玉・吉川工場、神奈川工場、兵庫工場、千葉工場、福島工場)の工場です。
グローバル化の目的は。
先ほど述べたオーストラリア工場、広大な敷地ですが実現するためには紆余曲折もありました。労働組合が強くて一時は、ニュージランドに変更も計画。2000年に工場登記をしてから2年ほど後に、やっと生産開始にこぎつけました。
中国への進出は2003年に上海に海外1号店をオープンしてからですが、その後北京、上海、広州と営業利益も伸びています。今や売り上げの4割は海外です。
アジアに進出した理由はただ一つ、困っている人がいるからです。ただそれだけです。決して儲けるために進出したわけではありません。日本をはじめ世界各国には貧困で苦しんでいる人が大勢います。困っている人たちが、より幸せな生活を送ることができるよう、我々は「食」という手段を通して貢献したいと考えているのです。当社の場合、国内においてはある程度多店舗化が進み、上場も果たし、多くのお客様に健康的で品質の高い食事を低価格で提供できるようになりました。一方で、中国をはじめとするアジアでは、まだまだ豊かな食生活は富裕層だけが得られる特権です。そこで当社が進出し、良質なイタリア料理を低価格で提供すれば、一般市民の食生活をより豊かにできるのではと考えました。
物理学的思考は経営に生かされていますか。
私は物理学を専攻したのですが、ビジネスも人間の在り方も物理学の法則に基づいて考察できると気づきました。原理原則に基づき、正しい考え方でビジネスを行えば、必ず正しい結果がついてくると考えています。例えば、量子力学によれば、この世に存在するすべてのものはエネルギーを持っており、エネルギーは高いところから低い方へ流れることで調和した状態を保っています。我々一人一人もエネルギーを持った物質であると考え、その活動の集積である人間の営みのエネルギーであるとすれば、貧富の差といった高低差は調和され、よりよい調和に向かって変化し続けるのが自然の法則です。
研究開発部門も設けられたと聞きましたが。
研究開発(R&D)センターを千葉工場に設置しました。アンケート調査ではなかなかお客さんの本音は解りません。千葉工場内の実験室では試食時の脳波の変化を測定しています。“これから試食の測定を始めます”供された若鳥のグリルを食べている間、脳波が測定されます。これで料理を食べた時の興味度、好き度、ストレス度の値がわかります。味覚と脳波の関連を研究し、味を数値化することで、「まずい」メニューの提供を避けるのが狙いです。
最後に会長の考え方や行動をどのように継続されていかれますか。
物理学の話に戻りますと、私は一番強くて影響力のあるエネルギーは心だと思っています。エネルギーは伝達するので、波長が合うエネルギーを持つ人間同士が惹かれあって組織が形成されます。ですからトップが正しい心で生きようとすれば自然と良い人材が集まってくると思っています。とはいえ、人間は完ぺきな存在ではないので、ずっと正しい心でいることはできません。だからこそ理念として掲げ、トップが伝え続けることで、思い出してもらう必要があります。