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- 祝『理窓』500号 特別寄稿 研究者の原点となった都築研究室での日々
祝『理窓』500号 特別寄稿 研究者の原点となった都築研究室での日々
- 2019/5/15
- 卒業生, 理窓 2019年5月号
『理窓』発行500号は、物理学校から東京理科大学へと輝かしい歴史の中の記念碑となるものであり心からお祝い申し上げます。これまで支えてきた諸先輩と同志の皆さんに心から敬意を表します。
私が東京理科大学理学研究科の修士課程に入学したのは、1960(昭和35)年4月でした。都立墨田工業高校の夜間部の物理と化学の教師をしていましたが、昼は研究する時間があることが認められて入学したのです。所属したのは都築洋次郎教授の研究室で、当時東京教育大学教授で天然物有機化学の教鞭をとられていた若き日の中西香爾先生(2007年文化勲章受章)のご紹介によるものでした。東京教育大学(現、筑波大学)の聴講生として中西先生の講義を聞いて勉強していた縁からでした。
都築研に入り、土日には寝袋を実験室に持ち込んで通しで実験に取り組む日々が続きました。土日も実験に取り組む熱心な院生と思われたようですが、実は平日は学校勤務があるので土日しか実験をする時間がなかったという事情からでした。この「熱心」さが買われたのか、東京理科大学の創立80周年記念式典で、学生代表で祝辞をあげてほしいと言われてびっくりしました。学部から進学した院生ではないので固辞したのですが、都築先生の「是非やりなさい」という言葉に勇気づけられ、婚約者だった家内の書いた墨字の原稿を緊張して読み上げたことが思い出されます。
都築先生は有機化学の第一人者として内外に聞こえていた大先生でしたが、学生とも親しく接する先生であり、オキシ酸や糖の誘導体を作りそれらの立体構造を研究する指導を受けました。グルコースの誘導体で界面活性を有する化合物を作る研究を行い、修士論文としてまとめていました。ところが同じ研究を横浜国立大学の教授に先に論文発表されてしまいました。まとめていた論文はオリジナルのない論文になってしまい、これを修士論文にしたくなかったので一年大学院に留年することを許してもらいました。
研究室には森信雄講師(後に理学部教授)がおり、年齢もあまり離れていなかったので兄貴分のように私を指導してくれました。オキシ酸類や糖の立体構造を核磁気共鳴(NMR)装置を使って分析することになり、都築先生の紹介で東京都渋谷区初台の東京工業試験所(現、通産省化学技術研究所)に当時、日本に1台しかなかったNMRを使って研究することになりました。試験所は甲州街道に近かったので、大型トラックが通ると装置がガタガタと揺れてしまい、測定を中止して再調整するのが一苦労でした。使わせて頂いたのは所員が使用しない夜中だけでしたが、一枚のチャートをとるには一晩かかることも珍しくなく、一枚も取れないでカラ手で帰ることもありました。
乳酸やリンゴ酸などの分子内の水酸基と、カルボニル基、フェニル基のπ電子との水素結合を調べていました。森先生には、実験のやり方から論文の構成と内容まで指導を受けましたが、大変、生真面目で面倒見のいい先生であり、私が最初に書いた論文も手取り足取り指導してくれました。
都築先生は英語が堪能であり、論文は英語で書くように徹底して指導を受けました。先生は「日本語で論文を書いても外国人は読めないから実績と認められないし、研究も正当に評価してもらえない。論文は必ず英語で書きなさい」というのが口癖でした。この指導のお陰で私は、論文は英語で発表することを守りこれまで1100報以上の論文を発表してきましたがその95%余は、英語で書いたものです。
都筑先生のお弟子さんの山本修さん(工業技術院科学技術研究所で部長をされた方)、それに東大の研究者らが集まったNMRの研究会にも参加して学びました。これはその後の抗生物質の構造解析研究にとても役立ち、私の研究者としての地歩を固めるきっかけになりました。都築先生は私と同じ山梨県出身であり山登りが好きだったので、都築研の同窓親睦会の「八峰会(はちほうかい)」をつくりよく山登りに行ったのもよき思い出です。
修士課程を修了後、山梨大学の助手になりましたが、日中はブランデー作りの研究をし、夜は共同研究に使う化合物を合成し森先生に送ったり、共著論文を書くなど、その後も都築研とのお付き合いが続きました。理科大薬学部にポジションがあるので来ないかという誘いもありましたが、その話は途中でだめになり、やむなく北里研究所に学卒8年目にして学卒待遇で入所しました。
北里ではNMRを使ってロイコマイシンなど抗生物質の構造を決定する研究に取り組み、次々と実績をあげることができました。当時、NMRの操作やデータの解析が分からない研究者が多く、よく私を頼って聞きに来る研究者がいました。大学院時代に研鑽した知識と技術があったお陰で研究者としても認められていきました。今振り返ってみると、大学院での研究の日々は、私の研究者へと転身する意欲を育て、研究者としての基礎を叩きこんでくれた学究の場所であり、その後の長い研究生活の原点であります。東京理科大学の同窓生であることを誇りに活動し、これからも理窓会の発展を見守っていきたいと思っています。益々の発展をお祈りしています。