1万時間のフライト経験持つ、JAL初の女性代表取締役専務

65年の歴史を持つ日本航空(JAL)において、女性として初めて代表権を持つ取締役専務執行役員に就任した大川順子さん。
そんな大川さんが東京理科大学を受験したのは、単に「理系科目が得意だった」という理由だけではない。
「母が“女性も専門技能を身に付けて仕事を持つべきだ”という考えを持つ人でした。その影響もあって薬学部を受けたんです。私自身としては、理系総合大学で最難関の東京理科大学に“挑戦したい”という思いが強かったですね」。

「母は昔の人ですが、男女にかかわらず活躍の機会を持つことが大切という思いは、今こうして時代の流れになっています。理科大の学生の皆さんには広い分野で活躍して欲しいと思います」。
大学時代の思い出は、ほぼ研究室の中にある。「薬学科で有機化学系の研究に取り組んでいました。研究室にこもって“実験・まとめ・発表”をひたすら繰り返す日々でしたね」。そんな大川さんがJALという“畑違い”の企業に入社した理由は、当時の時代背景と深く関わっている。

「当時の景気は不安定で、理系女子を対象とした求人はほとんどありませんでした。そんなある日、“成田空港が1978年に開港するため、JALがスチュワーデスを500名採用する”という新聞広告が目に留まったんです。ひょっとすると私もこの中に入れるかも……最初はそんな気持ちでした」。
大学在学中に入社し、入社後は客室乗務員訓練生として北海道の千歳空港に配属され、空港カウンターで勤務しながら卒論発表会の準備をした。
「3月までは、仕事が休みの日には必ず大学に通っていました。ようやく卒業すると、今度は薬剤師国家試験に向けて、成田にある社員寮で勉強の日々……理科大での4年間と入社後の数カ月間は、私の人生の中でも、最も勉強した期間だったと思います。“大学4年間の勉強の成果を証として残したい”という気持ちがあったからかもしれません」。CAとしての豊富なキャリアの中で得たものは、「心を揺さぶられる経験」と語る。「日々お客様と接していると、悔しいことや辛いことも経験します。でも、例えば困難な状況を切り抜けたフライトの最後に、お客様に“ありがとう”と声を掛けていただくと、涙が出そうなくらいうれしいんです。
これから社会に羽ばたく理科大の学生の皆さんには、まず“意思を持ってやり遂げる”人間になってほしい。そして社会に出て“心揺さぶられる経験”を数多く積んでほしいですね」。

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