日本一の夢

私は、平成30年3月に理学部第二部数学科を卒業し、同年4月より千葉県船橋市立七林中学校で教鞭をとっています。学生時代は、夜間部である理学部第二部に所属し、学業に全力で取り組みながらソフトボール部にも在籍し、活動を行っていました。野田キャンパスでソフトボール部の練習を行い、その後、授業のため神楽坂キャンパスに移動する生活を続けました。

部においては、部長という役職を任せていただき、学内における諸手続きや対外試合の申し込み責任者など、様々な仕事をさせていただきました。当時は、練習をしつつその仕事をこなすことで手一杯でした。こうして今、私自身が就職し教諭となって思うことは、監督の柳田信也先生(理工学部教養・准教授)は、授業や研究活動をはじめとした数多くの仕事をこなした上で部活動も指導してくださり、とても凄い方だと同じ指導者の立場になって強く感じています。

学生時代のこれらすべての経験が、教員採用試験を一度で合格することができた原動力となっていると思います。

選手としての私は、投手をしており、手前味噌ではありますが、関東学生リーグ戦・Ⅰ部において最優秀選手賞をいただき、その後、学内においても学長表彰をいただけるという活躍をしました。しかし、4年生最後の全日本大学選手権大会の舞台で、先発投手として登板することはできませんでした。教員採用試験と夏の練習が重なることが多く、満足な練習をすることができず、ライバルにマウンドを奪われたのでした。インカレというのは、その時その場所でしか味わえないもの、また教員採用試験は人生を左右するものです。その両方を勝ち取って、はじめて理科大ソフトボール部の模範となるものだと思います。勝ち取るための努力が足りなかったのが私のまだ甘いところだと、柳田監督に指導されたことを今でも覚えています。だからこそ、今現在でも教員のチームでソフトボールを選手として続け、7月に行われた全国教員選手権では、チーム史上最高成績の準優勝を勝ち取ることができました。しかし、最後の一つが勝てなかったのは、まだまだ私自身甘いところがあるのでしょう。教員生活においては、教材研究や生徒指導、さらには部活動指導も行っておりますので、その上でソフトボールの選手を続けることは決して楽な道ではありません。しかし、理科大で、そしてソフトボール部で学んだことを糧にし、その困難に打ち克ち、来年こそは日本一を取れるよう頑張って参りたいと思います。


大江君のこと 柳田 信也(理工学部教養・准教授)

大江雄登先生、全国教員大会準優勝、誠におめでとうございます。在学中から愚直なまでに克己鍛錬を続けた成果であると思います。入学してきたときは、本当に繊細(泣き虫!?)で気の優しい学生でしたが、ソフトボールを通じて本当に強くたくましくなったと思います。特に、部長として行った数々の主務としての作業は見事でした。教員採用試験1発合格、そしてソフトボールを継続、敬服しております。しかし、あと一歩の努力を忘れずに、日本一のロマンを持ち続けてください。

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